自然科学研究科 生命・食料科学専攻 准教授
理学部 理学科 准教授
(researchmap)
大阪市福島区で生まれ、兵庫県伊丹市で育ちました。相手が関西弁でない場合は、標準語風のアクセントでしゃべるので、関西出身であることを明かすと驚かれます(名大時代、柳島直彦先生には「けしからんやっちゃ」と言われました)。
高槻中学校・高等学校時代は、生物部に属し、ほぼ毎月のように、週末にポンポン山や水無瀬川上流の川久保周辺に出かけていました。微生物班を作って、近くの池でプランクトンネットを引いたり、空中細菌や発光バクテリアの培養を行ったりしました。
名大4年生の時のフリーリサーチ(後期半年間の卒業研究)は、植物細胞の分化全能性に興味を持ったので、建部到先生の研究室(当時はS研と呼ばれていた)を選び、タバコ懸濁培養細胞BY-2のプロトプラストから原形質膜を単離する新しい方法を検討しました(これを元に2年後に大橋祐子先生が発表して下さいました:Misc参照)。
大学院は阪大の柴岡弘郎先生の研究室に進学しました。そもそも柴岡先生の研究内容に興味を持ったのは、建部先生が植物生理学の授業で、当時中央公論社から出ていた雑誌「自然」の1980年11月号に柴岡先生が書かれた総説「茎はどうして細長いか」を紹介して下さったのがきっかけです。早速図書館でコピーして読みましたが、大変魅力的な文章で、是非この先生の下で研究がしたいと思いました。
柴岡先生から与えられたテーマは、三橋-加藤美恵子先生と柴岡先生が1978年に発表された研究結果に基づくもので、アズキ上胚軸からの不定根形成がジベレリンによって阻害され、その際、根の原基を形成する皮層における細胞分裂が阻害されていることから、ジベレリンによる細胞分裂阻害の機構を、植物培養細胞系で調べるというものでした。実際の実験の指導は私よりも3か月早く助手として柴岡研に加わっていた福田裕穂さんにしていただきました。種々の培養細胞系を試して、結果的に福田さんのヒャクニチソウ単離葉肉細胞の系を材料とすることになりましたが、博士の学位取得までには紆余曲折があって、管状要素(道管・仮道管細胞)への分化には内生ブラシノステロイドの合成が正の制御因子として必要であることを明らかにしたことで、博士後期課程を満期退学して1年後に学位をいただくことができました。このあたりの事情は柴岡先生の著書「キミ見てみんか」に少々記述があります。
博士後期課程を満期退学した後2年間は研究生をしたのですが、その間は、内生ブラシノステロイドが分化誘導条件で増加することを示すための抽出・定量実験と、ブラシノステロイド依存的に発現変化する遺伝子をディファレンシャル・スクリーニングあるいはサブトラクション・スクリーニングによって同定しようとしました。前者については、横田孝雄先生からいただいたコシヒカリの種子を用いて、イネラミナジョイントテストによる生物検定を試みました。イネラミナジョイントは、後に新潟大学に赴任後に研究対象とすることになります。後者に関しては、マックス・プランクのジェフ・シェルの研究室に留学後、柴岡研に分子生物学の技術を導入された福田さんは、すでに東北大学に助教授として移ってしまっておられたので、cDNAクローニングの技術を、柴岡先生と親しかった名古屋大学農学部生化学制御研究施設の渡邊昭先生の研究室に習いに行きました。阪大時代は自宅で親のすねかじりだったのですが、研究生になって学振特別研究員も切れたので、多少なりとも学費の足しにするために、最初の1年間は、当時阪急中津駅の近くにあった「教文研ゼミナール」という予備校に毎週金曜日の午後2コマだけ「化学」を教えに行っていました。金曜日は授業があるため、月曜から木曜まで、2、3回に分けて名古屋に行きました。名古屋での宿泊先は当時院生だった荒川圭太さんが実験で遅くなったときのために借りていた下宿アパートにお世話になりました。名古屋で習ってきた技術を使って、柴岡研でひとりRNA抽出、cDNAライブラリー作製、サブトラクションを試みましたが、候補のファージクローンをいくつか拾ったところで時間切れとなりました。理研に移るに当たってそれらのクローンは捨ててしまったのですが、シークエンス確認とノーザン解析くらいやっておけば良かったと思います。
理研の基礎特研には研究生1年目と2年目の2回応募しました。1回目は事前の研究室訪問もせずに、ブラシノステロイド抽出・定量実験のテーマで植物生活環制御研究室(櫻井成主任研究員)に応募しましたが、書類審査で落ちました。2回目は博士学位取得後でしたが、植物分子生物学研究室(篠崎一雄主任研究員)に、事前の研究室訪問にも行って、cDNAクローニングのテーマで応募しました。こちらは書類審査に合格して、面接審査まで行くことができましたが、落ちてしまいました。しかし、1991年の年末になって、研究室に理研から電話があり、辞退者が出たため補欠採用となった旨を知らせてくれました。
理研ではシロイヌナズナの乾燥応答遺伝子rd22とrd17遺伝子のプロモーター解析を行いました。篠崎和子さんが実際の実験指導をして下さいました。
3年間の基礎特研の任期を半年残した1994年10月に、農林水産省農業生物資源研究所の光合成研究室(山本直樹室長)に異動しました。品種日本晴を用いて、イネの新規光応答遺伝子の単離と同定に関わりました。これらのクローンのうちの一つが、当時、動物で同定されたばかりのタンパク質の核輸送担体であるインポーティンαをコードしていることが分かり、新潟大学に赴任してから現在に至るまで植物における核-細胞質間輸送が重要な研究テーマの一つとなっています。
趣味は洋楽鑑賞で、昔活躍したアーティストが中心です。